ファンと信者とアンチと、ときどきオトン。
こんにちは、さいじょーです。
※今日は若干の毒を吐きますが、すべての人に当てはまる訳ではありませんのでご了承を。
皆さんは「3Bの法則」というものをご存じですか?
広告業界で言われているもので、
Beauty(美人)、Beast(動物)、Baby(赤ちゃん)の頭文字を取ったものだそうです。
これらのものに対して自然と好感を持ってしまうという人間の心理なのですが、
それをふまえてひとつ。
SNSに猫の写真多すぎん!?
いや、失礼。言葉が足りてないですね。
良いんです。猫の写真、全然いい。かわいいし。僕も猫好きだし。
まして「子猫」なんてものは3Bの要素すべてを含んでいる。
そりゃ必然的に人々の目に留まるでしょうよ。
ただ、誰かがアップしてバズった猫の画像なり動画を、あたかも自分が撮ったかのようにアップするというアレ。そして速攻でいいねを押しているアレ。
あげる側も、見る側も、
なんと節操のないことでしょうか!
こういうことを言うとすごく語弊が生まれそうですが、
「猫が好きだからこの投稿にいいねを押した」
と、
「猫が映っているからいいねを押した」
この間には微妙な差があると思うんです。
片方は感情を持って行動に移した。
もう片方は半ば条件反射に近い。
脳が感じてから、指先の行動に移すまでの間は
しっかりと感情や思考を挟んで欲しいなと思うんです。
それに似たことで言うと、
最近では配信ツールを使って誰もが動画の配信者(投稿者も然り)になれる時代。
そうなってくると、視聴者側も誰しもがいわゆる「推し」の配信者がいる状態が多いわけなんですね。
そのなかで特に
「全国的に有名な訳ではないけど、普通に生活できる収益があるレベル」
あたりに多いなと感じるのが、
その人の言うことすること、すべてを擁護しようとする視聴者の層。
「頑張ってたもんね!大丈夫だよ☆」
「無理しないでね>_< 私はずっとついていくよ!!」
おいおい、マジか。。。
なんでも擁護することが応援に繋がる思っていらっしゃる。
おそらくなんですがこれは、
その人を応援したいという感情よりも、
応援している「私」を見てほしいという感情なのではないかと。
私の推しに、私という存在を視認してほしい。
「気にしないで!私はずっと味方だよ!」と何でも許そうとする姿勢。
「今日は○○したよ!」という投稿に対し、
「私は△△でした!」という返信投稿。
有名人同士の返信のやり取りに割って入る投稿。
いずれも他者を応援しているように見えて実は自分本位の感情が大部分を占める行動だと思うんですね。
つまり猫がかわいい、ではなく、猫が好きな私がかわいい。
もしくは猫が好きな私を見てほしい。
※もう一度言いますが、すべての人に言っているわけではないのでご了承を。
これはファンではなく、信者に近い。
すべては神の導きのままに、神の言うとおりに。
こうなるとせっかく頑張ってほしい推しが神になり、頂点に立ってしまう。
頂点に立ったものはそれ以上、上の世界が見えづらくなるんですよね。
推しを神にしたいのなら、
自分が頂点に立たせてあげるのではなく、ときには反対意見を持って頂点への道筋の修正をしてあげること。
自分で歩かせてあげないと経験値にならないのです。
それが応援だと僕は思っています。
条件反射と、自分本位で動くのもいいですが、
そこに感情と思考が混ざればより自身の生き方も広くなるし、推しの応援についても上質なものになるかと思いますよ。
例えがしやすいように猫と配信者を例に出しましたが、
友人関係、仕事の先輩後輩・部下上司の関係、その他私生活のあらゆる場所でも
ある程度当てはまるんじゃないでしょうか。
と、ここまで書いておいて、僕自身は猫超好きなので
道端で出会った猫の写真置いてから帰りますね。
かわいい。
それでは、ごきげんよう!