さいじょーさんの「好きな元素はタングステン」

これは文句やない。世直しや。

エゴイズムの表と裏

こんにちは、さいじょーです。

 

 

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僕はとある食品工場で勤務しているのですが、

食品に限らず、ラインで動く工場にはこんなことを掲げている企業さんは多いのではないでしょうか。

 

「後工程はお客様」

 

これは、自分が今やっている仕事が次の部署に移るときに、

仕事が円滑に、かつ高いクオリティで引き継ぎができるようにする思想のことで、

 

要は次の部署の人をお客様だと思って高品質の仕事をお渡ししなさいと言う考え方なんですね。

 

 

これは実に素晴らしい考え方で、

実際に高いクオリティで渡された仕事というのは次の人が作業を無駄なく円滑に行えるのです。

 

 

そうなると

・生産効率が高い

・残業時間の削減

・高品質の製品の生産

・それにより消費者がついてくる(リピーターの増加)

 

 

コストが下がるうえに売り上げが上がる、まさに良いことづくめ。

 

 

 

これはわかる。仕事のうえでは、すごくわかるのです。が、

 

が、

 

この考えを私生活、特に公共の場とされるところでも出会うことがあるのです。

 

 

その中でも強く感じるのが

 

「トイレットペーパーを三角に折りましょう」

 

 

 

いや、トイレットペーパーを三角に折ることに抵抗があるのではなく、

その理由に少し疑問があります。

 

 

 

小学校とかで教わった記憶がある、これの理由は「次の人が使いやすいように」でしょ?

 

あと「スリッパを揃えましょう」とかも似たようなものだと思うんですけど。

 

 

 

こういうのって、次の人が使いやすいようにじゃなくて

「見栄えが良いように」って一択の理由付けにした方がよくないですか?

 

 

 

例えば、

(A)トイレを使って、トイレットペーパーを三角に折る。

(B)トイレは使ったが、トイレットペーパーを三角に折らない。

 

 

 

この内容を順序的に考えると、

(A)トイレ使う → ペーパー使う → 先っちょ出す(折る) → 出る

(B)トイレ使う → 先っちょ出す → ペーパー使う      → 出る

 

トイレに入ってから出るまでの順序が違うだけで、踏んでいる手数は一緒なんですね。

 

ということはトイレの例でいくと、

「次の人のため」と銘打ったところで、次の人の仕事量が軽減されるわけではないのですよ。

 

ここが自己犠牲を美徳とする文化なのではないでしょうか。

 

それなら最初から「見栄えが良く美しいから」と理由付けた方がまだ潔いし、納得いきませんか?

実際、ペーパーが三角に折られたトイレは清潔感があり、気持ちが良い。

 

 

 

どうも世のため人のため、自分を犠牲にして、ができる人はもちろん素晴らしいのですが

中には自分以外にエネルギーを割いている様を見てくださいという遠回りなエゴイズムが混じっているのではなかろうかと。

 

 

 

冒頭の工場の例のような、本質をとらえた世のため人のためは美しいことですが、

美徳意識だけから風潮のようになってしまった「美しい」には少し引っかかるところ。

 

 

 

もう少し良い意味での図々しさを持って、「この方がキレイに見えるだろう!」という直接的なエゴイズムを前に出してもいいんじゃないのかなと感じた次第でした。

 

 

 

※時と場合と項目によりけりですが!

 

 

 

それでは、ごきげんよう