さいじょーさんの「好きな元素はタングステン」

これは文句やない。世直しや。

写真撮って、「ジブリみたいな・・・」って言うヤツ

こんにちは、さいじょーです。

 

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写真を撮ることが楽しいです。

 

写真を撮る、ということ自体もですが、

そのために地方に赴いたり、普段見ない角度で風景を見まわしたり。

 

写真を撮る、という目的のための手段が、普段の生活では得られない情報を与えてくれるような気がして、刺激的なのです。

 

 

そこでやっぱり欲が出てくるのが人間。

どうすればもっと上手く撮れるだろうか、

この角度はどうか、この設定ではどうか、こんな編集はどうだろうか、

いろんな模索、試験、模索、試験、トライアンドエラー

 

 

でも今は便利な時代。

ネットやSNSを見渡せば模範となる作品がゴロゴロ転がっているのです。

それらを参考にしながら、自分なりにあーだこーだ思案しながら、また地方に赴き、面白い風景にレンズを向ける。

 

楽しい。これがなんと楽しいことか。(個人的見解です。笑)

 

 

 

そういったこともあって、僕もSNSで気に入った方をフォローしていたり、

検索をかけていろんな作品を覗くことがあったりするのですが、

 

それなりの頻度で見かける、少しモヤっとする表現。それは、

 

 

ジブリみたいな写真が撮れた」

「○○で撮った風景が完全にジブリ

ジブリに出てきそうな景色」

 

 

だいたいが山奥の自然や、農業を営む田舎、澄み渡る青空、閑静な住宅街といった風景で、

確かにそういったアニメ作品を連想させることもあるだろうし

連想させるだけの認知度、「言えば伝わる」という認知度を誇るスタジオジブリとはまさに偉業なのでしょう。

(僕もジブリ大好き)

 

 

 

 

でもやっぱりどこかモヤっとする。

 

例えばミュージシャンがライブで「ミスチルみたいな曲が書けました。聴いてください。」と言うだろうか。

(ここでスッと例に挙がるミスチルもすごい。あんまり知らんけど)

ミスチルサザンオールスターズで迷った)

 

 

芸術、アートと呼ばれるジャンルは何かを真似ることから始めることが多いです。

 

僕は写真の他に書道を楽しんでいますが、

これも、漢字の多くでは隋や唐の時代を筆頭に中国の古典を、

仮名の多くは日本の平安時代のものを模写(臨書といいます)することで技法を学びます。

 

音楽でもクラシックを練習したり、好きなアーティストの楽曲をコピーすることから始める方も多いでしょう。

 

絵画の世界はごめんなさい全然知りませんが、「模写」という言葉があるくらいだから

先人の作品を真似る文化はやっぱりあるのだと思います。

 

 

芸術に限ったことではないでしょうが、

好きなもの、カッコいいと思うもの、尊敬する人のものをまずは真似て技法を学ぶ。

学んで真似てまた学んで、いつしか自分なりのアレンジを加えていく。

 

 

そうして次第に他人の評価を集め、認められると「その人の作風」というハンコがつくのではないでしょうか。

 

 

 

そしてミュージシャンがライブで「ミスチルみたいな曲が書けました」なんて言わないように、

人前で発表する際は「自分なりの表現」であり、「自分の作品」です。

 

 

自分で撮った写真を自分で編集してSNSにアップするという、現代では多くの人が行うありきたりな行為であったとしても

僕の見解ではその人はまがりなりにも表現者なのです。

 

 

別に、そんなSNSの中にはプロのカメラマンになろうなんて人は少ないでしょう。

趣味で良いカメラを買って、好きで投稿する、それだけの方がほとんどでしょう。

 

それでも、世の中に発信するのであれば言い直してほしい。

 

ジブリのような写真が撮れた」ではなく、

 

ジブリの世界を真似て撮った」と。

 

 

 

 

素晴らしい作品を世に出し続け、圧倒的認知度を誇るジブリのような写真がホントに撮れたのであれば、

その写真も間違いなく素晴らしい作品です。

 

ジブリのような」なんて保険をかけずに、自信を持って「良い写真が撮れた」と発信してください。

きっと変わらぬ反響があるはずですよ。

 

 

 

それではこのへんで。

 

ごきげんよう