さいじょーさんの「好きな元素はタングステン」

これは文句やない。世直しや。

子どもの動画の使い方

こんにちは、さいじょーです。

 

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先日、とあるSNSで拡散され話題となっている動画が流れてきました。

 

 

それは3~4歳くらいの少女が、撮影者である親に対して泣きながら何かを訴えている様子。

 

その姿が「可愛い!」「表現が独特w」「貫禄があるね。」などといったコメントと共に数万件を超える拡散と反響を得ていました。

 

ホームビデオの一部が動画としてSNSでバズったのか…と軽い気持ちでしたが

ふと思い立ってその方のアカウントを覗いてみると、どうやらその手の動画を数多く発信しているらしい。

子育て兼、娘の成長記録のようなつぶやきで、相当数のフォロワーがいる人気アカウントでした。

 

 

しかしその方だけではなく、子供の動画が人気のアカウントをいくつか訪ねていくうちに、

少しずつ疑問が浮かんでくるようになったのです。

 

 

子供の訴えは親に届いているのだろうか・・・

 

 

もちろん、子供のすべての瞬間にカメラを向けているわけではないだろうし、

日常を切り取った映像をホームビデオに残す、という楽しみ方も理解できるし賛成です。

 

でも怒ったり泣いたり、何かを親に訴えている瞬間だけは子供と顔を合わせた方がいいのではないかと思うのです。

 

 

表現が独特であったり、貫禄があったとしてもやはり子供は子供。

大人のように複雑な感情をまだ持ち合わせていない。

 

だからこそ怒る・泣くといった単純な感情の中に自分の訴えを注ぎ込んでいるのではないでしょうか。

 

その訴えを向ける、一番信頼できるはずの相手と目線も顔も合わずに、

こちらを向いているのは四角い機械と円形のレンズ。

 

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大人になってから気づいたのですが、意外と子供のころの記憶って断片的に強く残っていることがあるんですよね。

 

自分が強烈に怒ったり悲しんだりしていた時の記憶として残っているのが、四角い機械越しの親の顔ってのはちょっと嫌だな、なんて思います。

 

浅はかなエゴかもしれませんが。

 

 

 

別に我が子の日常を映像として残すことを非難するわけではありません。

ホームビデオは必要なものだと思いますし、僕にも子供ができたらそうすると思います。

 

ただ、SNSにあげること前提の撮り方はしないですね。

子供の訴えには顔を合わせて応えたいです。

 

 

まぁ、現代から先の未来はそんな姿が当たり前になって子供も何も思わないかもしれないですけどね。

時代の流れと言ってしまえばそういうことなんですかね。

平成初期生まれのおじさん予備軍には少し寂しいお話でした。

 

 

 

 

 

 

追記。

もしも僕がそういった時代に生まれ、親が僕の動画で数十万~数百万というフォロワーを獲得していることを高校生あたりで知ったとすれば、ありがたく利用させてもらうでしょうね。

 

特定の飲食物の商品を好きだと豪語し、飲み食いの発信を続け企業案件を狙うか

趣味や勉強中の内容を発信して有識者や研究者のコメントを得るか、

SNSの影響力というものを活用して同級生や先生を買収するか、

 

 

 

SNSの反響という承認欲求により図らずとも人気者になってしまったたくさんの子供たちよ、

これからのデジタル社会をどうか強かに生きてください。

 

 

 

 

それではこのへんで。

 

ごきげんよう